『夏休みの感動体験』
2020.08.05
8月に入りました。首都圏の多くの学校では、新型コロナウイルスの影響で「休校」となっていた期間の授業を補完するために、夏休みが短くなっています。私の勤務している校舎近隣の小学校では、7月31日(金)まで学校の授業があり、8月1日(土)から8月16日(日)までの二週間ちょっとが「夏休み」というところが多いようです。昨年までは「40日間の夏休み」だったところが、「16日間」となってしまいますので、過ごし方も例年とは違ったものになりそうです。
一方で、やはり「夏休み」ですので、お子様方にはいつもとは違った経験や体験をしてもらいたいと考えています。その経験や体験が「大きな心の動き」=「感動」となることで、一回り大きく成長する、そんな過ごし方をお考えいただければと思っています。新型コロナウイルスの感染者数に関する報道も連日のようにあり、「お盆の時期の帰省のあり方」についても、さまざまな話題になっておりますので、普段のように外出するというわけにもいかないとは思いますが、ぜひお子様のために、お考えいただければと思います。
さて、「感動」について考えてみます。国語の授業で、詩や短歌・俳句を教えるときに、「感動の中心をとらえなさい」という教え方をすることがあります。きれいな風景を見て感動したときに写真を撮るのと同じように、大きな感動を体験し、その感動を残しておきたい、誰かに伝えたいと考えたときに、言葉を使って表現するのが、詩であり、短歌・俳句だと指導するわけです。そして、作者の感動の中心となっているものが何かを正確にとらえることができれば、きちんと読み取れたということになります。
少し話がずれてしまいましたが、感動というのは、大きな心の動きと考えることができます。きれいな景色を見れば「きれいだな」と思うわけですが、それがある一定以上の「大きさ」になれば、「感動」になります。「おいしい」「楽しい」「うれしい」という気持ちも、それが大きくなれば「感動」につながります。一方で、プラスの心情だけではなくマイナスの心情も、大きな意味では「感動」といえるのです。斎藤茂吉の「赤光」という歌集に収録されている「死にたまふ母」というシリーズの短歌は、よく中学入試のテキストにも取り上げられますが、母親の死に面した「大きな悲しみ」が感動の中心となっているわけです。
「感動」という心的状態にいたるためには、その前提や背景があると私は考えています。同じ景色を見ても、感動という状態までいくこともあれば、そこまでのレベルには達しないこともあるでしょう。単に美しい景色を目の前にするだけではなく、言ってみれば「心の準備」のようなものが必要になるのではないでしょうか。旅行に行ったときに見た美しい光景であれば、普段とは違う環境であるという一種の「非日常感」、さらには家族とその美しさを共有できた喜び、そういったものが相まって大きな心の動きになっていくのでしょう。
小学生は学習や授業の中においても「感動」できるはずです。テスト中にとても難しいと感じていた問題があったとします。心の中で「こんなのどうやって解くんだ!?」とつぶやきながら悩んでいるような問題の解説を聞いたとき、一気に目の前が開けるような思いになることがあるはずです。言葉にしてしまえば、「すごい!」「なるほど!」「わかった!」というような表現になるのでしょうが、それはまさしく「感動」といえるのではないでしょうか。先生の解説を聞いて「ふーん」と思うか、「感動」を得られるか、それはどれだけその問題に真剣に取り組んだかで決まるように思うのです。難しい問題に直面したときに、「なんだこの問題は!?見たことないぞ!」「でも絶対に解いてやる!」、そんな心的状態が一気に解決したときに「感動」につながるように思うのです。そしてその感動はお子様を大きく成長させるのです。
「夏期講習会」は普段よりも長い時間の授業になります。また、もうすぐスタートする「夏期集中特訓」も勉強に集中する4日間・5日間ということになります。普段よりも集中できる環境の中で、「勉強することによる感動」をひとつでも多く体験させられるように、我々も準備を進めております。
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