『お正月飾り』
2022.12.16
武蔵小杉のショッピングモールに行ってみました。クリスマスのデコレーションが並び、何となく華やいだ雰囲気を感じて帰ってきました。それと同時にお正月用品も店頭に並び始めていました。
「お正月飾り」で思い出したことがあります。 私の実家の庭に「ユズリハ」の大きな木がありました。11月の終わりになると、毎年「しめ飾り」を作っている方が「ユズリハ」の葉を採りにきていました。「しめ飾り」や「鏡餅」に縁起物として「ユズリハ」の葉が使われているということを知ったのは、たしか小学5年生くらいのときでした。当時は「ユズリハ」という木の名前は知っていたのですが、なぜその葉が正月飾りに使われているのかは知らず、不思議に思ったので母親に尋ねてみました。「自分で調べてごらん」と言われたので、図書館に行って調べてみました。
話が横道にそれますが、いまだったらインターネットを使えば、そのレベルの情報はすぐに手に入るでしょう。試しに「ユズリハ」と検索したところ、すぐに見たい情報に到達することができました。ただ、当時はどの本を見ればよいのかわからずに、いろいろと調べた記憶があります。子ども用の植物図鑑ではわからずに、大人用の辞書や図鑑を見て、でも書かれていることが完全には理解できず、試行錯誤をしてやっと理解できた記憶があります。時間はかかってしまいましたが、そういった経験が次につながったような気もしています。
その当時と比較すると、現代は「情報や知識の取得」が容易な社会になっています。社会の進歩の中で「知識をたくさん持っている(知っている)」ということの価値は低くなってきているのを感じています。「知識量」よりも、あふれている「情報や知識」の中から自分にとって本当に必要なものを識別し、それをさらに活用して自分の思考をつくっていく、そんな力が求められる社会になってきているのでしょう。「高大接続システム改革」や「大学入学共通テスト」で問われる資質や能力において、「知識・技能」よりも「思考力・判断力・表現力」に重きがおかれているのも、そんな背景のもとなのだと考えています。
話を「ユズリハ」に戻します。図書館で調べてみてわかったことは、「ユズリハ」という名前は「葉を譲る」という意味で、「若葉の新芽が出るとそれに譲るように古い葉が落ちる」という性質が語源ということでした。そして、その性質を「親が子どもに後を譲る」ということになぞらえて「縁起物・おめでたい木」とされるようになったと理解はしたのですが、その時点では納得はできていませんでした。「親が子どもに後を譲る」ということが、なぜ「おめでたい」ことなのかが、小学生の私にとっては理解できていなかったのだと思います。それよりも「子どもに後を譲って、散っていく親の姿」というイメージは、子ども心に言葉にはできない「もの悲しさ」のような感情を抱かせ、「別にめでたい木じゃないよなぁ」という漠然とした思いが残ったままでした。いまになれば、「親が子どもに後を譲ることで、家が代々と繋がり、繁栄していく」という意味を理解できるのですが、「家」「家系」という概念は、私の世代であったとしても実感としてつかみにくいものです。
ただ、こういった身近なことから、いろいろな考え方に触れるというのは、小学生にとって大切なことだと思います。「古いもの」や「古い考え方」がすべてよいというわけではありませんが、昔から連なってきている「考え方」を理解し、その上に立って未来を創っていく、そんな子どもたちに育ってもらいたいと考えています。
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