『同窓会』
2024.11.15
先日、小学校の同窓会に参加してきました。実は「同窓会」というものにちゃんと参加するのは初めてだったのです。出身校からの案内は届いていたのですが、ご存じのように我々の仕事は土曜日・日曜日がお休みになることはほとんどないので、土日に実施されることの多い「同窓会」に参加するのはなかなか難しかったのです。ですから、卒業以来という同級生も多くいて、とても懐かしく感じました。
以前にも書かせていただいたことがあるのですが、小学生時代の私はスイミングクラブに通っていて、一週間のうち5日以上のペースでプールに行っていました。いまでは小学生の習い事として上位に入るスイミングクラブですが、当時は珍しかったこともあり、水泳で目立つ少年だったようです。同窓会でもそんなことを覚えていてくれた方が多くいました。
一番懐かしかったのは、昔のあだ名で呼ばれたことです。私の名前は漢字で書くと「貴一」なのですが、そこから「きーち」と呼ばれていました。同窓会の受付で「きーち!」と呼びかけられたときに、一気に小学校時代に戻ったような気分になりました。そのあだ名は自分では、なんとなくいつからかそう呼ばれ始めたくらいに思っていたのですが、実はきっかけがあったということで、今回の同窓会でそれも初めて教えてもらいました。
スイミングクラブのおかげで、区の水泳大会では参加したいくつかの種目で優勝することができていました。小学校の朝礼で、その表彰状を校長先生が読み上げて授与してくださるという場面があったのですが、そこで校長先生が間違えて「ふくだきーち君!」と名前を呼んだことがあったそうです。私のクラスメイト達は、もちろん本当の呼び方を知っていたので、そこで笑いが起こり、そこから「きーち」と呼び始めたという話でした。そのあだ名について、私は別になんとも思っていなかったのですが、先生の読み間違いがそういうきっかけになるということもあるんだと思い、私も生徒の名前を呼ぶときには気をつけなければならないと、あらためて思った次第です。ちなみに早稲田アカデミーの出席簿にはちゃんとカタカナで読みガナがついています。
いろいろな思い出話に花が咲いたのですが、やはり当時の先生についての話題にもなりました。卒業アルバムや卒業文集を持ってきた方もいて、それを見ながら「〇〇先生、懐かしいな。けっこう厳しかったよね」とか「あの先生、△△君をひいきしてなかった?」……そんな会話が進んでいました。そんな中で私も当時教わっていた先生のことを思い出していました。周りに昔の同級生がいたからでしょうか、もしくは卒業アルバムで先生の顔を久しぶりに拝見したからでしょうか、いろいろなことが脳裏に浮かんできました。卒業してから何十年も経つというのに、記憶が呼び起こされるというのでしょうか、急に鮮明に先生からかけていただいた言葉がよみがえってきたのです。
小学校6年生の文化祭で劇をやったときに、なかなかうまく言えないセリフがありました。シェイクスピアの「リア王」という劇だったのですが、王様に忠実に仕えながらも、王様の暴挙をいさめるような役でした。いま考えれば、小学生が演じるのにはハードルが高い劇(役)だったように思います。言えないセリフを何度も練習しているときに、先生から「福田君、もっとケント伯の気持ちを考えてごらん」と言われたのです。「えっ?そんなのどうやって考えればいいんだろう……」、そんな風に感じた記憶までよみがえってきました。
いま私が目の前にしている生徒たちも、将来「先生からかけられた言葉」を思い出すことがあるのかもしれません。小学校の先生と比べれば、会っている時間は短いですが、クラスの人数が少ない分「濃密な関係」が築けているようにも思います。そんな風に考えると、「先生」という仕事の責任の重さを感じます。生徒たちの将来につながる言葉、そんな言葉がかけられる先生になっていきたいと、あらためて考えさせられました。
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